シェアハウスに再び引っ越して感じたこと

今年の春から、技術者限定の
シェアハウスにお世話になっています。

以前の記事にも書いたのですが、
シェアハウスの感想 25歳に入居し都内で一年半過ごして感じた本音

私は過去のシェアハウス入退去の経緯もあり、
正直、あまり最初は住環境に期待をしておらず、
プログラミングの勉強の効率を上げる為と割り切り、
辛い共同生活になることも覚悟していました。

しかし、開始から3週間が経ち、自分が当初思っていたよりも
遥かに勉強に集中できる環境で、且つ、予想外な点から
大きな学びを得る機会を得ることになりました。

まだ現時点で判断するのは早いかもしれませんが、
本当に、この環境を選んで良かったと思います。

この記事では、プログラミングの勉強をする際に
シェアハウスを選ぶことのメリットと、
私が実際に住み始めて感じたことをまとめます。

エンジニア限定のシェアハウスを選ぶメリット

やる気のある人間しかいない

当然ですが、エンジニアしか入居できないシェアハウスには
エンジニアを本気で目指す人が集まってきますし、
そうでない人には最高に居心地が悪い環境です。

その結果、お互いが刺激を与え合い、勉強や自己研鑽に
より効率良く身が入る環境になります。

年代もバラバラで、私の住んでいる家や系列の家には
10代から30代まで職業や経歴が多種多様な人が入ってきました。

ですが、似たような目標を抱えていると、
初対面で飲んでも、あっという間に打ち解けます。
同志のような気分になるんでしょうね。

普段は仕事や勉強で、そう頻繁に顔は合わせませんが
ある種の強烈な連帯感を普段から感じています。

質問や問題解決をしやすい環境がある

今住んでいる家は、大家も現役のエンジニアであり、
メンターサービスを提供していたりもしますし、
住人同士でアウトプットやもくもく会も行います。

特にゼロから始めると、自分のミスの傾向も分からなければ、
慣れないエラー対応に四苦八苦することもよくありますが、
経験者に聞けば、数時間詰まった箇所が5分で解決する、
なんてことも普通に起こります。

コードをたくさん書いたり、試行錯誤をするのは大事ですが、
同じところを堂々巡りしたり、凡ミスの発見に時間を費やすのは
勉強として明らかに効率が悪い為、人にアドバイスをしてもらえる
環境を手に入れるのは、学習を確実に加速させてくれます。

また、人から質問をされた時も、いざ回答して教えたり
一緒にコードを読んでいると、果たして自分が本当に
完全にその箇所を理解できているのか?と問われることになります。

なので、自分よりも詳しい人や勉強が進んでいる人が
他の同居人に居なかったとしても、誰かにプログラミングを
直接教えることは、むしろ自分の勉強になります。

本当の意味での共同生活

距離が凄まじく近いので、家族も同然

僕は現在、商売を畳んで勉強中の為、完全に失業者ですが
同居人の中にも現在仕事をしていない人が何人かおり、
食事を常に共にしており、全員家に引き籠り勉強をしてます。

飯を食えば当然色々な話もしますし、時間がある時は
車で目的地まで送迎したり、夕飯の買い物にも出かけるし、
一緒にゲームやって遊んだりもします。

恐らく、ここ10年の間で、
この同居人以上に会話をしている相手って
他にいないんじゃないかと思うんです。

僕は両親と祖母を実家に残して20歳で上京しましたが、
年に数回しか帰省しておらず、このままのペースでは
あと数十回ほどしか、会える時間がありません。

子供の頃は、毎日家族と飯を食っていましたが、
今思えば、本当に貴重な時間だったのかもしれない。

今一緒にいる家族との時間も、
実家に帰省して過ごす両親との時間も、
生活ひとつひとつに気持ちを込めて、
大事にしていこうと思います。

親の偉大さを嫌でも実感する

多くの家庭では、お母さんが朝昼晩と
食事を用意することが多いと思います。

今は全てのご飯を自炊で済ませており、
効率が良いことから、皆で協力して昼飯と夕食を作っています。

ですが、実際に自炊を毎日やっていて思うのは、
「家族全員の飯を作る」ということが
想像していたよりも、地味に大変であることです。

記事の趣旨とは外れるので多くは語りませんが、

・そもそも、何を作るかを毎日考えて調べて決める事自体が大変
・次の日のメニューまで考えて買い物をしないと
 買い物の回数が2倍以上になるので、先まで考える必要がある
・毎日違うものを作る、栄養素も味も考えると
 調味料や一人暮らしじゃ買わない食材を買わざるを得ないので
 見慣れたスーパーが突然魔境に変わる

そして、自分よりも一回りも若い子に、毎回料理をさせたり
金を多く払わせたり、粗末な栄養の無い飯を作るくらいなら
死んだ方がマシだと思うし、美味い飯を気兼ねなく食ってもらう為に
あらゆる手段を尽くすのが、年長者として当たり前だと感じます。

そして、いざ自分が飯を作ろう用意しようと決意をしても、
それをわざわざ恩着せがましく思わせるようなことは
1ミリたりとも他の家族に感じさせるわけにはいかない。

多分、自分にもし子供がいたら、間違いなく、
似たような気持ちが沸いてくると思います。

自分の人生を楽しむことに、100%を注いでほしいから。

毎日何を食ったかで、体の成分も変わるし、
その人のコンディションで人生決まりますから。

受験や部活に一生懸命取り組んでいるなら、尚更です。

子供もそういう親の気持ちは何となく察してしまうので、
家事という聖域には軽い気持ちで踏み込んではきません。

自分は両親と祖父母が二世帯で住んでいた家で育った為、
そういう親の気持ちを良くも悪くも1ミリも配慮や心配することなく
勉強と部活しかしていなかったのですが、今思えば母親は

・「明日何が食べたい?」とほとんど聞いてきた事が無い
→恐らく、家族に余計な気を遣わせないため

・15年間、家族全員の朝昼晩全ての飯を作り続けてくれた
実家の家族に対しては、更に18年近く続けている
→尊敬という言葉では表しきれない、畏怖の気持ちすら感じる

・豪華な食事を記念日や特別な日以外に作らなかったり
食事を「適当に作っているよー」等と事ある事に口にする
→「食事を作るのは大変なこと」と相手に思わせない為

これが、どれだけ凄いことなのか、
どれだけの愛情を僕や弟に注いでくれたことなのかを
今更ながら、やっと気付くことになりました。

そして、父親が何があっても絶対に飯を作らないことも、
昔は何故だろうと思っていたのですが、台所に立って
軽々しく母の食事作りを手伝ってしまうことが、母の今までの
全ての気遣いの積み重ねを全部台無しにしてしまう行為だと
思っていたからではないかと思います。

ちなみに、飯を作る時も、
飯を一緒に食べる時も、洗い物をする時も、
当然ですが、色々な言葉を交わすことになります。

「何か手伝いましょうか」

「何か買ってきてほしいものありますか」

「何やりますか」

「軽量カップどこですか」

「調味料どれくらい入れますか」

「もう火止めていいですか」

「いただきます」

「これ、めちゃめちゃ美味しいですね」

「その話、もう3回くらい聞きましたよ」

「ごちそうさま」

「お茶飲みますか」

「洗い物やりますよ」

僕は社会人になって以降、会社に居た頃も
一人で飯を食べる時間がほとんどで、商売を始めて以降も
基本的にずっと一人で仕事をしていたので、
人と食事中に会話をしたことがほとんどありません。

だけど、自分が受けてきた愛情の大きさを自覚した今、
目の前の人に喜んでもらう為なら、どんなことでも
やりたい気持ちが以前より沸いてきているのを感じます。

嬉しくてたまらないと自分が感じた以上、
同じ気持ちを、迷惑にならないような程度や形で
他の誰かにも同じく感じてもらえたら、きっとお互いに
幸せな気持ちになれるんじゃないかなと思うんです。

しかし、言葉や行動に気持ちを込めるということが
まだ意識しないと出来ない段階なので、毎日のあらゆる時間が
本当に貴重な勉強の場になっています。

両親に今までの全てを感謝すると共に、
これから仕事や私生活で出会う全ての人達に、
気持ちを込めて、関わっていきたいと思います。